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田舎教師 アーカイブ

2006年10月09日

受け容れること

久々のエントリーです。(ミクシィのほうにはまってました。)

さて、最近といってもちょっと前になってしまったのですが、身の回りで起こったことから、次のような私の経験を思い出しましたので、書きとめておきます。

私が就職してすぐの3年間の研修派遣を終えて、その職場を去るときにその研修期間のまとめみたいなものをプレゼンすることになりました。

そこで私は50万円もするビジネスマン能力開発講座をやる気もないのに買ってしまった失敗話をプレゼンのネタにしました。こんな過ちを繰り返さないために、けじめをつけたかったからです。

失敗話とは、ある日職場にその商品(講座)勧誘の電話がかかってきて、私は「嫌、やらない」といって断っていたのに、勧誘してくる相手方の部長クラスの人と話していて、「あなたのような考え方を持っている人にぜひお勧めするのです」とか言われて、部長クラスの人と対等に口をきいて「俺もまんざらではないな」といい気になって買ってしまったのです。

そんなことなんですが、今回このブログで言いたいのは、そのプレゼンを聞いた方々からのでコメントについてです。

派遣先の社長のコメント
「50万円といえば君にとって大金だ。それは嫌な思いをしたね。そうだ、総務部長、今度入る新人にはこんな例があったことをよく説明しておいてくれ。」

派遣先の部長のコメント

「君はクーリングオフを知らないの?紙1枚かけば済んだのに。」

派遣元の課長のコメント
「せっかく買ったんだから、その本やビデオなどの教材があるだろう。それを使って少しでも勉強したらどうなんだ。」

当時私は、社長が同情的なコメントをしていただいたことをありがたく思い、部長の冷たいコメントは論外、課長のコメントにも聴く耳を持たずでした。

ですが、何年か時間がたってくると、最後の課長のコメントが「いいこと言ってる」と思うようになりました。

おそらく、今私と同じような失敗をして愚痴っている人がいたら、あの課長と同じコメントをするかもしれません。

これはどういうことなんでしょうか?
「受け容れる」という言葉が私の頭に浮かびました。

この場合、その教材を使って無理やりには勉強することないけど、すぐに「自分が間違ってた」といってすぐ投げ出すのは、どうかと思うのです。

確かに自分の責任ですが、だからこそ、「待てよ。使えないかな。どうしてもだめなんだろうか。」ともう一度、受け容れることできないか考えてみるのは、どうでしょうか?

2006年09月18日

フィードバックを返すときに

「人の鏡になる」と言うと「人の手本になる」と私は思えてしまって、ちょっとひっかかりを感じるので、「フィードバック」するということにします。「人の手本になる」とは意味合いがちがうので。
(「フィードバック」というのも、専門用語ぽくって、なじみにくいのですが。。。)

で、フィードバックを相手に返すときには、いい、悪いの評価はしないということだそうです。

マイナスイメージのフィードバックなら、

「あなたは、さっきあんなことをしていたから、私は少しイライラしました。」というふうに。

ここで、
「あなたは、あんなことをしたらだめだ。」と言うと相手はそのフィードバックを受け容れてくれない。
これは、日常の生活や仕事でもありますね。ひどいと感情的なしこりを残してしまう。

先の例、「あなたは、さっきあんなことをしていたから、私は少しイライラしました。」は以前、紹介した感情の直接報告ですね。
これならあまり相手を傷つけず、受け容れてもらえる可能性は高くなりそうです。

参考エントリは、”怒り”という感情の取扱いについて

感情の直接報告、これは意識して使いたいですね。
リアル世界では、まず、なにかと感情の行き違いの多い妻へ。

ウェブ世界(ミクシィ)では、お友達の日記コメントへ。

参考にしたのは、「人間関係づくりトレーニング」(星野欣生著、金子書房)です。
それから「自己概念」についてのエントリが続きましたが、それらはカウンセリングで有名なカール・ロジャーズの「自己理論」にある考え方のようです。
ですが、感情の直接表現、直接報告、間接表現は「自己理論」とは違います。
これらがどんな考え方に基づくものか、私は、いまのところわかりません。
もし知っておいでの方、いらっしゃいましたら、コメントお願いします。

2006年09月16日

人の鏡になること

 前回のエントリーでは、「だれか私の鏡になってください。」ということをこのブログを読んで下さっているみなさんに呼びかけたわけですが、ご覧のとおりです。コメントはありません。

 鏡になってくれる人を探すのも難しいですし、人の鏡になることも難しいです。
この自己概念についての演習をコミュニケーションビジネス専門学校の授業でやりましたが、ある生徒さんの授業後の感想メモに”自分の鏡になってくれる人はいない”ということがありましたが、全くそのとおりです。

そこで、です。(田舎教師は、なかなかあきらめないのだ。)

自分がまず誰かの鏡をやってみるのです。

つまり、自分が誰かにフィードバックを返すのです。

当然、なかなかうまくいかないでしょう。実践の中で訓練を積むしかありません。
日常生活の中でもその機会はたくさんあります。学校や職場や家庭で。
これは、日常生活というリアル世界での実践ですね。

そしてもう1つ。

 ミクシィをやってて、思ったのですが、ミクシィやブログなどのウェヴ世界で、コメントをつけていくということです。

 今私はミクシィを始めて3週間になろうとしてますが、少し友だちも見つけることができ、その人たちの日記にコメントをつけてみました。
 
 既にその人たちにはたくさんの友だちがいて、常連のコメントする人がいるのですが、その中に新人の私が割り込むのです。
 
 その友だちは私のコメントに対して、コメントを返してくれるし、私のページにコメントを残してくれる場合もあります。
 
 そして、その友だちのコメント常連さんたちも「なんだ、こいつ、最近コメントつけやがって」と思って私のページものぞきにきたりしています。

 そうして、私のページのアクセス数も増え、新しい友だちが増えるかもしれない。そして、コメントも増えるかもしれない。
 
コメントや友だちが増えれば、それだけフィードバックはもらえてるし、この人こそ鏡だという人も出てくるかもしれない。

 ミクシィやブログもリアル世界の経験を補うものになるのでは。。。と私は思っています。

2006年09月12日

自己概念を拡げるためには・・・

自己概念が広ければ、経験したことを自分のものとして受け入れることができ、経験したことを活かして、いっそう成長する
ということらしいのですが、それでは、どうやればいいのでしょうか。

それには、大きく2つが考えられます。

1.新しい経験をどんどん増やす。

  いままで経験したことないことに挑戦して自己概念を拡げる。
  「オレってこんなこともできるじゃん。」
  「やればできる。」なんていうのも自己概念が拡がって、出てくる言葉かも。
  それから、なんといっても新しい人との「出会い」もそうです。


2.他の人からフィードバックをたくさんもらう。

  自分が人にどう映っているかを人から教えてもらうことによって、いろんなことが見えてくる。
  そして自己概念も広がっていく。
  フィードバックとは、他の人に自分を映し出す鏡になってもらって、自分がどう映っているかか教えてもらうこと。

で、やはり難しいのは、その鏡になってもらう人に出会うことだと思います。

そこで、思うのはブログやSNSサイトです。これらにはコメントをもらうしくみやお友達になるしくみがあります。
コメントをもらうということは、フィードバックをもらうことではないでしょうか。

どなたか、このブログを読んでいる方、
コメントいただけませんか?

フィードバックいただけませんか?
私の鏡になっていただけませんか?

私の参加しているSNSサイトはぶっちゃけ、ミクシィです。 こちらも田舎教師で出ています。

2006年09月09日

自己概念の拡大と人の成長

誰でも「自分は○○だ。」という自分の定義というか、自分で自分のことを○○であるという枠組みを持っていると思います。

 その枠組みのことを「自己概念」というそうです。

例えば、
私は父親である。私は教師である。私はソーシャルワークに関心のある人である。私は元システムエンジニアである。
などなど。

そして、この自己概念と一致した日常の経験は、その人にとってすんなり受入られるといわれています。

上の「私は・・・」の例は、私田舎教師ですが、元システムエンジニアという自己概念を持つ私は、パソコンを使って仕事をすることには何の抵抗もありません。パソコンを使うことを私は受け入れているということです。

 ところが、この私が経理の仕事をするようになった場合、私には経理についての自己概念はなく、その上苦手だとすると、私は経理という仕事が受け入れられないと思うかもしれません。ひどければ、職場を辞めたいと言い出すでしょう。

 実際、私は最近、経理の仕事も担当するようになりましたが、システムエンジニア時代に役場の財務会計システムを担当したこともあり、「私は財務会計を担当したシステムエンジニアだった」という自己概念を持っているのでしょうか、さほど抵抗は感じません。経理の仕事をすることを静かに受け入れています。


自己概念が広ければ、経験したことを自分のものとして受け入れることができ、経験したことを活かして、いっそう成長することになるそうです。

では、この自己概念を拡げるには、どうすればいのでしょうか。
参考にしたのは、、「人間関係づくりトレーニング」(星野欣生著、金子書房)です。

2006年08月31日

何でSNSをはじめたのか?

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)にデビューして1週間が過ぎました。

 なんで始めたのか?ですが、前回のように、「SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える!」(鶴野充茂著、ソフトバンク新書)の本を読んで、次の点を試そうと思ったのです。

 「SNS的仕事術・・・」のP.111から引用ですが、

従来の情報発信のやり方では、まず情報を収集して分析し、そこから絞り出した結果を決められた枠内に収めて発信していました。新聞や雑誌もその方法です。

             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ところが・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まず、「情報発信する」ということを先に決めます。そして、その時点で持っている情報を発信してしまいます。発信を重ねていくと、今度は関係する情報が集まって来るようになります。

 大事なのはここです。私が欲しいのは、質の高い情報です。質の高い情報を速く楽に集められるかです。
 

 私がSNSをここ1週間、体験して思うのは、情報の収集より発信の力の強いしくみであるということです。それは、上で述べたように、発信をかさねると今度はそれに関する情報が集まってきて収集ができるということですが。。。

 それから、SNSにはたくさんのコミュニティがあり、あることに興味関心のある人が集まってコミュニティを作ることができます。そこで情報交換ができるという。
 
 私の関心ごとについてのコミュニティもあります。ただ、そこからはメーリングリストやメールマガジンのように登録すれば、情報が自動的に送られてくるというわけではありません。
 
 そこに自分から働きかけをしていき、欲しい情報を引き出さなければなりません。どういう情報を投げ込めば、自分の欲しい情報が得られるか、それを試す場所でもあります。

 私は今のところ、まだどのコミュニティにも参加していません。
 
 今は私の持っている情報、例えば過去にはまった読書やジャズについて、思い出したり掘り起こしたり、こんな本読んでました、こんな音楽聴いてました、っていうコナーをせっせと作ってます。

 そして、私のページに訪れた人が私との共通点、ひっかかりを見つけやすいように準備してます。

 というのは、そこにひっかかってもらい、一言でもコメントをもらう、そして、その一言のコメントを手がかりに自分の欲しい情報を引き出すためです。

 それらのひっかかりの埋め込みがもう少し充実したら、コミュニティに参加しようと考えています。

 ちなみに私が今欲しい情報は、趣味の読書やジャズっていうのではなく、このブログでも扱っているコミュニケーションについてです。
 
 といっても範囲が広いので、キーワードで言うと、感情の取扱い、カウンセリング、対人援助、臨床心理などなど人相手の仕事をするときに避けて通れないことです。

どうなるか、これからも楽しみです。

2006年08月24日

ソーシャル・ネットワーキング・サイトにデビュー


ついに田舎教師もソーシャル・ネットワーキング・サイトにデビューしました。

ニックネームは田舎教師

って言っても、このブログではいたって当たり前ですが。。。

もし、SNSをやっている方は、田舎教師で検索してください。

で、また、なんで?

ということになりますが、
長くなるので、次の本に影響を受けまして、「SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える!」(鶴野充茂著、ソフトバンク新書)です。

著者の鶴野充茂氏は自己演出プロデューサーと名乗っており、「コミュニケーション」をテーマに幅広い経験を積む、とあります。

とりあえず、デビュー報告です。

2006年08月20日

人は見た目が9割?(その3)

「人は見た目が9割」(竹内一郎著、新潮新書)を読んで田舎教師が「なるほど。そうか。そうだよな。」と思ったことの3つめ、これで最後です。

微笑みの持つ重層構造のところで、笑いは親和行動であり、「あなたに敵意はありませんよ」あるいは「親しくしましょう」というメッセージであると同時に、相手を騙そうとしているときも使われるそうな。

そして、ここから引用(P.182~183)ですが、
しつこい相手に「もういい加減に切り上げたい」とメッセージを伝えるときにも、微笑むことがある。この微笑みも好意ではない。むしろ不快感の表明である。しいて言うなら、「言葉を荒げたくないからこの空疎な笑いで理解してくれないか」と伝えているのだ。
最低限の「親和作用」がないとはいえないが、この微笑みが伝えるものは「拒否」以外のものではない。」


この「拒否」の微笑み、田舎教師もよく使うのですが、1つ反省することは生徒にも使ったことがあるということです。自分の子供や奥さんには使ったという気はしないのですが。
家族には拒否や怒りというネガティブな感情はまだ出しているほうなので。。。
いや、やっぱり使ってるかな?

しかし、今ここであげたことはコミュニケーションや人の心を扱う専門家にとっては既に常識となっていることかもしれません。これらのことを意識するには、かなりの人間観察が必要だと思います。
医療・福祉・教育などの人を直接相手にする仕事はもちろん、ビジネスにおいても気をつけたいところです。

ここまで書いて田舎教師がシステムエンジニア時代に読んだマキアヴェリの君主論を思い出しました。これも私のボキャブラリでは言い表せないほどの人間観察から言えることが、ポンポン出てくるのです。またこれもいつか書きとめましょう。そうそう、そのころ、中国の古典、「孫子」などの兵法書にも、はまっていました。これもそう。

いや~、もう少し涼しくなったらいいんですけどね。
今日もエアコンのない部屋で汗だらだらです。
それでは。

人は見た目が9割?(その2)

「人は見た目が9割」(竹内一郎著、新潮新書)を読んで田舎教師が「なるほど。そうか。そうだよな。」と思ったことの2つめです。

P.91から引用すると、
芳賀綏氏は「日本人の表現心理(中公叢書)」の中で、日本人のコミュニケーションの特徴を、次の八つにまとめている。「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」・・・・・」

この中で、「いたわる」については、「そうだよなあ」と思いました。

なんで?どういうこと?
「人は見た目・・・」から引用すると、(P.96)

「NHKの「のど自慢では、音痴の出場者に対して、司会者は「音が外れていました」とはいわないものだ。「元気が良すぎましたね」と励ます表現になる。老人は何度も同じ話をするものだが、聞き手はその話をさえぎることなく、最後まできくことが多い。・・・」

そうか。なるほど。そうだよな。と思うでしょう。

しかし、このいたわりの心を逆手にとる悪いヤツが世の中にはいる!!許せん!!

他は「日本人の表現心理」を読んで別エントリーで書きとめたいと思います。


次のエントリー 人は見た目が9割?(その3)につづく

2006年08月19日

人は見た目が9割?(その1)

いや~、ホント、ご無沙汰でした。もうこのブログは終わりか?と思ったことでしょう。
まだまだがんばりますよ。

7月末からの体験入学、学校行事、夏の休暇、そしてこの暑さ。
(田舎教師んちにはエアコンはあることはあるが、めったに使うことがない。なんでかなあ?)
ということで、じっくりパソコンに向かうことができませんでした。

この間、読んだ本は「人は見た目が9割」(竹内一郎著、新潮新書)
本の帯には日本人のための「非言語コミュニケーション」入門!とあります。

読み終えて「なるほど。そうか。そうだよな。」と思うところがありましたので、またまた、ここで書きとめておきます。

まず、1つめ。
P.59より引用すると、
「社会的に立場の弱い女性は、相手がどう思っているかが大事なのである。
自分が生き延びるためには、相手の気持ちを尊重しなくてはならない。
必然的に、相手の本心を見抜く勘が磨かれる。
         ・・・・・・・・
この特性は男にも当てはまる。
例えば、中途入社で仕事のできない人は、会社の中では立場が弱い。だが、社内の世渡りは割に上手かったりする。


おいおい、この「中途入社で仕事のできない人」って、俺のことじゃねえかよ。

まあ、社内の世渡りは最近、失敗が目立つけど。。。というのも「相手の気持ちを尊重」しすぎて。

そして、なんといっても「自分が生き延びるため」と「会社の中では立場が弱い」という点は、田舎教師そのものであります。。。。

このことは、私がそういう「希な」状況にあるからだと思っていたのですが、本にこうも書かれているということは「希な」ことではなく、一般的なことなのだと気づきました。特に、女性、いやそれに限らず社会的に立場の弱い人というべきでしょうか。


次のエントリー 人は見た目が9割?(その2)につづく

2006年07月22日

”怒り”という感情の取扱いについて

今、コミュニケーションビジネス専門学校の授業で演習をやってます。

”怒り”という感情を持った時、自分はどのような行動をとるか?
これを生徒のみんなに、思いつく行動、どんどん挙げていって、
1.自分が日頃よくする行動
2.自分では絶対にしないと思う行動
3.自分では考えてもみなかった行動
に分類し、自分がこの感情とどうつき合っているのかを考えるということをやってます。

私の場合を見てみますと、
1.自分が日頃よくする行動
  我慢する。機嫌が悪くなる。本人にあたる。
  我慢するが、ブチ切れて子供や学校の生徒にあたりちらす。
  車の中など一人になって叫ぶ。
  誰もいないところで、物を振り回す、投げつける、たたきつける。

  →かなり過激ですね。いや~、これくらいしないと気持ちがおさまらないですね。

2.自分では絶対にしないと思う行動
  壁と話す。ぬいぐるみと話す。ドライブへ行く。買い物へ行く。歌う。食べる。植物の手入れをする。
  →私の場合、これは”怒り”ではなく、落ち込んだ時に、やりそうな行動です。

3.自分では考えてもみなかった行動
  自分を傷つける。インターネット掲示板をあらす。星空を見る。高い所へ景色を見に行く。
  動物を見に行く。
  
  →これでは、”怒り”の感情はどうにもならない。自分を傷つけるは、私にはありえない。
   他人を傷つけてしまいそう。

ざっとこんなもんですが、これらのことから自分の”怒り”の感情とのつき合い方パターンは、
        
                  その場は我慢する。
                      ↓
我慢しているが、子供や学校の生徒にちょっとムカつくことがあったりするのをきっかけにブチ切れてあたりちらす。
                      ↓
”怒り”の感情は発散されたようだが、「しまった。また、やってしまった。」という自分を責める感情にとりつかれて、しばらく落ち込む。

か、

                  その場は我慢する。
                      ↓
誰もいないところで、叫んだり、物にあたったりして、”怒り”の感情を発散する。
って、ところですね。

さて、ここでどうするかですが、「人間関係づくりトレーニング」(星野欣生著、金子書房)によると、

1.自分の中で湧き起こっている感情を自覚する。
2.その感情を素直に受け止める。
  →これは”怒り”などネガティブな感情をよくないものと思っていると受け入れることはできないようです。
  ネガティブな感情を肯定的に捉えることが大事。
3.その感情を引き起こしている相手に対して、自分の感情を言葉とからだ(表情など)で伝える。
ということです。

3.は勇気のいることだと思いますが、ここから相手とのコミュニケーションが始まっていくということです。

なるほど、これが以前トラックバックさせtいただいたブログにもあった感情の直接報告ですね。

それから、私と家内の気まずい雰囲気が解消した例知的障害者の方との交流の例もそうです。


それらの例は、偶然気づいたことだったので、この演習を通してはっきり以上のことを意識し、これからもあるであろう”怒り”の感情をうまくこなしたいと思います。

ふぅ~。なんとか、オチがついた。

2006年07月17日

いや~、ホント、暑くなってきましたね。

 このブログのエントリーも週1ペースになってきました。ブログ生活、踏み出したものの、毎回、大変なんですね。1つエントリーするのにけっこう時間かかります。読んだ本をもう一度、読み起こしたり、リンク先を確認したり、途中で考え込んでみたりで。

 ときどきコメントつけていただくnollyさんは本当に自然体でブログやってますね。
ルフラン・ルフラン」は私もオープン当日夕方、店をのぞきました。お客さんが行列になってました。ケーキ屋さんがオープンするってこんなにすごいんだ!!と思いました。

 鎌田シェフは、愛調の特別講師です。何年か前から飴細工の講習をやっていただいてます。鎌田シェフ、さすがクープ・ド・モンド国内予選3位ですね。「すごい!!」としか私には言えません。もしかしたら、過去のきょうの愛調にあるかも。いや、あります。2004年10月21日2月5日のきょうの愛調ご覧下さい。

 さて、コミュニケーションをどう学ぶか?前回から変化あったのでしょうか?

 いや~、ホント、暑くなってきましたね。きのう、今日、エアコンはあっても使わないわが家では、私なんか、もうグッタリで。。。(コラコラ、ごまかさないで!! で、変化あったの?)
 
 ハイ。あれからどうなったか。プレイバックシアターという言葉に出会って、「現代のエスプリ サイコドラマの現在 459」をパーっとめくりましたが、深く印象に残るものはありませんでした。

 その代わり、現代のエスプリのバックナンバーに「臨床心理福祉学 452」というのを見つけまして、とりあえず社会福祉士の資格を持つ田舎教師はこっちのほうに反応していまいました。

 この中で「音楽療法と福祉臨床」という事例にいきあたり、「なるほど、福祉でいう臨床って、こういうことか。」と一人で納得してしまったのですが、これはまた、これぞという紹介する機会があるまであたためておきます。

 これについては、Amazon.comへはじめてのレビューということで、私としては初投稿したのですが、そのときは、「はじめてのレビューを書いてください。抽選で3000円のAmazonギフト券があたる」っていうのがなくなってたんですけど。。。 (レビューはこちらをご覧ください。)

 ほか、ネガティブな感情の取扱いについてコミュニケーションビジネス専門学校の授業で演習をやってます。7月末にはこの演習完結しますので、生徒諸君演習を通してと気づいたこと報告したいと思います。

 それでは、今回はこのへんで。

2006年07月08日

何でブログを書くことがその人を成長させるのか?

そうですよね。本にそう書いてあったからっていうのじゃ、説得力ないですよね。

前回のエントリーのウェブ進化論からの引用を振り返ると
「ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていく」

そして、私のブログ記事への引用はしてなかったのですが、
自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むより無料放出することで大きな利益が得られる」とあります。

ブログを始めて今回で8回目のエントリー、時期にして1ヶ月とちょっとですが、知的成長の過程の公開になっているのか、私を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていってるのか、結果として私に変化はおこっているのか?・・・・たぶんあんまり変わってません。

ですが、ウェブ進化論でいうリアル世界では何人かの方に「ブログあれから書いてますか?」とか、
「あれ、おもしろかったですよね。」とか声をかけていただきました。(面白かったのは「ネガティブな感情の取扱いと人間関係について」ややはり似顔絵
 私のほうは思いもかけない人からこのような声をかけていただいて、「ああそうですか。見ていただいたんですね。」と驚くばかりです。私は記事へのコメントやトラックバックがほとんどないので、全く見られてないと思っていたのです。

また、ウェブ世界では私の関心事についてのブログがあったので、さっそくトラックバックさせていただき、そのブログの方からコメントもいただきました。こうなると、「おっと、ブログ生活に一歩ふみだしたぞ!!」っていう実感がありますね。

 このごろは(ブログサイトの調子も悪いけど)、コメントをつける検索ロボットですか、英語でわけのわからないコメントがついていることや、日本語のコメントなので何だろうと思って読むと「投資しませんか?」とか「もうけ話がありますよ。」というような広告コメントだったりして、よかったり悪かったりのまさに玉石混交のウエブ世界を体感しています。

 それから、私の書くブログ記事から参考になるサイトへのリンク、私の記事へのトラックバックをしていこうとしています。
 参考にする本についてAmazon.comへリンクしてますが、そこで見ていると、「はじめてのレビューを書いてください。」というのがあって抽選で3000円のAmazonギフト券があたるということを知りました。
 私が参考にしようと思った本は売れない、読まれないのか、ほとんどが誰もレビューをつけてません。「抽選で」というところがちょっとひっかりますが、ほんの数行のレビューなら書いてやろうかとも思います。

 ブログを始めて少しでも私が変わりそうな気配をあげてみました。
しかしリアル世界のほうで、「田舎教師(って、この部分は当然本名ですが)さんの考えていることがよくわかります。」とか「田舎教師さんって、、、、そうなんだと思いました。」などの声を聞き、私の考えていることや人柄などがオープンになっているわけですが、このへんから何か得られるものはないかなと期待しています。

2006年06月20日

何でブログを始めたのか?

もちろん、ブログについては昨年500円で買ったガイドブックみたいなものを読んだり、
今年1月に開設したこのブログにもコメントをつけたりしていたのですが、
直接のきっかけは今本屋さんへ行けば売れている本として積まれてある「ウェブ進化論」(梅田望夫著、ちくま新書)です。

それから引用すると
「ブログは個にとっての大いなる知的成長の場であるということだ。~
 実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。~
 ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていくのである。」ということです。
特に「知的成長の過程を公開することで、個と個の信頼関係が築かれていく」というところに惹かれてよし、じゃあやってみるかということで始めました。

 「ウェブ進化論」はブログのきっかけにもなりましたし、
昨年読んだガイドブックではわからなかったトラックバックの意味もわかりました。
また、ロングテール現象や玉石混交の情報から良質の情報を自動的によりわけること、
ネットのこちら側からあちら側へのシフト、
日本を支配しているいったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち、いわゆるエスタブリッシュメント層が日本の将来デザインに大きな歪みをもたらしてはいないかという著者の懐疑など、
なるほどと膝を打つこともたくさんありました。

 しかし、それだけでなく、このブログカテゴリのテーマ「コミュニケーション」や「感情」に注目することに対する動機を新たにすることも感じましたので、以下はそれを。

 この本の終盤のインターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞のところでは、
著者と将棋の羽生善治さんが「ITの進化による社会構造や人間の役割の変化」についてよく議論したという話が紹介され、その最後を引用すると、

“「聴覚や触覚など人間ならではの感覚を総動員して、コンピュータ制御では絶対にできない加工をやってのける旋盤名人の技術のようなもの。それがどういうことなのかに、ものすごく興味があります。」羽生さんは言う。彼は、言語化不可能な世界にこそ、人間ならではの可能性を見出そうとしている。”

これには私も「なるほど、そうだよな。」と唸ってしまいました。

 学習の高速道路とは、ITの進化によって誰もが、ものすごい早さで将棋なら将棋が上達するように学習できるようになったが、名人の手前で止まってしまう。
さらに後からきた人も次々そこで止まって大渋滞がおきてしまう。
そこから抜け出すのには、言語化不可能な旋盤名人のような技術が必要であるということです。
 

 これを田舎教師流にひどく単純な話にしてしまうのですが、
ある程度の技術(テクニカルスキル)は、やれば身に付くが
(といってもそれでもかなり練習しなければならない)、
あるレベルで止まってしまう、
いくら練習してもそれまでのテクニカルスキルを磨くだけでは越えられないところにぶつかる。
 そこで必要なのは、自分や相手の感情の取扱いなどのヒューマンスキルではないか、そこからまた突破口が開けるのではないかということです。
これは、私が思うところです。

私は、こうしてブログを始めたりしてインターネットの高速道路に飛び出したところでしょうか。
前回やっとトラックバックし、プレイバックシアターという言葉を知り、それの書いてある本「現代のエスプリ459」もインターネットで調べ、図書館で借りて今私の手の中にその本はあります。

本を見つけて借りてくるまでは速かったのですが、そこから渋滞を起こしています。少し読みましたが、私の中でまだ消化されていません。欲しいものが比較的速く安く手に入るようになりましたが、そこから先はリアルな人間の処理なので、渋滞になることはあるでしょうね。
 
 ですが、次から次へとやりたいことや調べたいことが出てきて楽しみです。
これからもエントリするぞ!!でもちょっと睡眠不足です。

2006年06月13日

感情の取り扱い実践例

田舎教師です。
「感情の取り扱い」でブログを検索していると、それについて実践できたという例がありますのでリンクします。ブログ「ruthyukoの転職活動日記」のエントリー「◆◇感情の直接報告◆◇」です。
なるほど、「感情の取り扱い」に関心を寄せる方はいらっしゃるんですね。

ここへ初めていらっしゃった方は、このブログ「コミュニケーションをどう学ぶか ~田舎教師の授業メモ~」の1つ前のエントリー「ネガティブな感情の取扱いと人間関係について」をごらんください。
私の例は、「ruthyukoの転職活動日記」の「◆◇感情の直接報告◆◇」によると、直接報告にあたりますね。そうか。。。そうだったのですね。

2006年06月12日

ネガティブな感情の取扱いと人間関係について

田舎教師です。前回の私の似顔絵、楽しんでいただけましたでしょうか?
けっこう笑えたということで、ブログのコメント以外でも”似てる!”など声をかけていただきました。
見ていただいたみなさん、ありがとうございます。

 さて感情の取扱いについてです。前前回に「感じない子ども こころを扱えない大人」(袰岩奈々著、集英社新書)で自分のネガティブな感情をもてあまし衝撃的な事件がおこるということを提起しましたが、私の授業でもよく参考にしている「人間関係づくりトレーニング」(星野欣生著、金子書房)では、人間関係をうまくできる人は、感情を上手に扱うことができる人、感情的にならないで根気よくお互いの感情を伝えあうことで、それ以前にもまして深いかかわりがうまれてくる、と書かれています。
 今回はネガティブな感情の取扱いと人間関係について考えてみたいと思います。

 この本にわかりやすい例があるので要点を引用すると、
・あなたは仲間と高速道路をドライブをしている。
・助手席のあなたは仲間が急速にスピードをあげていることに危険を感じる。
・あなたは危険を感じている上に仲間にスピードを落とさせたいが、言い出しにくくネガティブな気持ちになっている。

ここで、あなたは仲間にどうかかわるかです。
・感情的になってわめきちらし、ハンドルに手をかける。→なお危険
・「そんなにスピードを出すと危ないよ。」、「パトカーがきたら免停になるよ。」という。
→仲間は「危なくない。私は運転に自信がある。」とか「後ろにも前にもパトカーなんかいないよ。」と言ってスピードはそのまま、これでは効果がない。
そこで、
・ぶるぶる震えながら「私、恐い!」という。
これでおそらく、ほとんどの人はスピードをおとすのではないかというのです。

 なるほど、感情的になるのではなく、感情を表出するということですね。
私にもこういう例があります。
・この5月連休前に家内とケンカして夫婦間がずっと気まずいままでした。
・連休をむかえ家内は子供達が家内の実家にきている従兄弟たちと遊びたいということで子供達と実家へ行き、私は一人留守番ということになりました。
・私は3日間、気まずい気持ちで夫婦間をどう修復するかに悩んで過ごしました。
・家内や子供達が戻ってきたときに「お父さんは、みんながいなくて淋しかったよ。」と言いました。
これに反応したのは、子供達より家内でした。固くなっていた家内の気持ちもほぐれ、夫婦間の気まずさは修復され、いくらかお互いの気持ちも深まったようにも思います。

 夫婦間のネガティブな感情に対し、素直にその感情を表出することでなんとか危機を乗り越え、前述の本にもあるようにかかわりも深かまった例です。
 
しかし、感情の取扱いでまっ先にひっかかるのが、今の自分の気持ち、感情はどうなのかという自分の感情を意識できるかどうかだと思います。
それについては次回に。

2006年06月03日

なんで田舎教師なのか。

田舎教師です。
ちょっと、このへんで私のプロフィールを。
私の似顔絵です。

img009中.jpg

これは、私が愛媛コンピュータ専門学校の教員をしていたころ(4年くらい前)に受け持っていた生徒が描いてくれたものです。 笑っていただけました? 

 これ見て「田舎教師」という呼び名を私自身思いつきました。田山花袋の小説に「田舎教師」がありますが、それとは無関係です。
 ちなみに私のリアル写真はコミュニケーションビジネス専門学校のパンフレット講師紹介のページにもあります。上段左から6番めだったと思います。見比べてください。
写真を撮った時期と似顔絵はほぼ同時期なんですけどね。。。
↓↓↓↓↓パンフレットを取り寄せたい方はこちらから。もちろん無料です。↓↓↓↓ 
              http://www.ecom.ac.jp/data.html

 さて、私ですが現在は愛媛学園の事務局に所属し、生徒募集を担当。調理製菓専門学校とコミュニケーションビジネス専門学校の授業も少しだけ受け持ってます。
 先にも述べたように、私はコンピュータ専門学校の教員もしていましたし、その前はソフトウェア会社でプログラマ、システムエンジニアの仕事をしていました。「人相手の仕事がしたい」という思いで、専門学校の教員という仕事に転職しました。それから少しして以前から関心のあった福祉の勉強を思いつき、通信制大学の社会福祉学科に入り4年間かけて卒業、社会福祉士の国家試験にも合格しました。学校という場で若い人たちを対象にしたソーシャルワークをやろうと考えてますが具体的にはやってません。
ちょっと変わったやつですが、どうぞよろしくお願いします。

ビジネスの場と感情

田舎教師です。
今週前半は愛媛県東予方面の高校を回り、進路の先生に愛調やこの学校の宣伝をしてきました。疲れました。来週は6日(火)は松山市コミセンで進学ガイダンス、8日(木)も八幡浜で進学ガイダンスです。高校生のみなさん、お会いしましょう。

 さて前回ブログのひっかかりについてです。私は感情というものを手がかりに非言語コミュニケーションに辿り着きました。しかし、そのきっかけとなった知的障害者の彼は言語を持たず自分の意思を感情や行動で現す人でした。ビジネスの場では通常、言語コミュニケーションが主となり、隠された感情に気づいたり理解するは難しいし、非言語コミュニケーションに注目することに重要性はあるのか?というひっかかりを感じるのです。
 いや、だからこそ「意志の疎通が図れなかった」とか「コミュニケーション不足」で仕事がうまくいかなかったということになっているのかもしれません。
ということで、今回はビジネスの場と感情について考えてみたいと思います。

 まず前提となるのは、先ほど述べたビジネスの場では効率のよさを優先し個人の感情は持ち込んではいけないというルールがあるということです。なぜそうなったかというと、産業革命以来の大量生産、効率優先という社会全体の流れが影響していると思います。産業革命が今の世の中にどのように影響しているのか、これは調べてみたいことの1つです。
 それと、ビジネスの場でのルールが日常の生活でもはまり込んできて、いつのまにか感情そのものがすみに追いやられ、自分や家族の感情をうまく扱えなくなっているのではないか?と思うのです。ましてビジネスの相手やお客様の感情なんて、とても扱えないとか。
 そこまでは私の考えですが、これについては「感じない子ども こころを扱えない大人」(袰岩奈々著、集英社新書)にもあり、この本には私が言うビジネスの場でのルールとは別に、不快な気持ち、ネガティブな気持ちはジャマモノ扱いされ、大人も子どももこのネガティブな感情に対応できず、このことが子どもでは学級崩壊や衝撃的な事件をおこし、大人でも困ったコミュニケーションを引き起こしていると書かれています。

 この「大人でも困ったコミュニケーションを引き起こしている」ので何とかならないか、これはコミュニケーションビジネス専門学校ができた理由の1つです。
 そうするとやはり、感情、感情を扱うことはビジネスの場でも日常生活の場でも、かなり重要じゃないのかなという気になってきましたね。考えてみると「人間関係の問題」で会社をやめたとか、やめたいという話はたくさんあって、組織の中で働いた経験のある人なら頷けることだと思います。この「人間関係の問題」といっているのが感情の問題ということですね。それでは次回は、感情をどう扱うかについて考えてみたいと思います。

2006年05月28日

言語コミュニケーションと非言語コミュニケーション

田舎教師です。
前回のブログであげた知的障害者と私のやりとりから、どうやら、コミュニケーションには言葉と感情によるものがありそうだということに気づきました。ですが、これは私のなかでの漠然とした思いです。それをはっきりしたものにしようと思い、コミュニケーションの定義や意味について私の手の届く範囲で調べてみました。以下、引用です。

まず、インターネットの大辞泉、大辞林では、
<大辞泉>
1 社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。「―をもつ」「―の欠如」
2 動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。
<大辞林>
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。
次に私の自宅本棚にある社会福祉用語辞典(山縣文治・柏女霊峰、ミネルヴァ書房、2002年)、心理学辞典(外林大作ほか、誠信書房、2004年)では、(これ以下、Cはコミュニケーション)
<社会福祉用語辞典>
・・・Cとは記号を介して一定の意味・内容を伝達し合う過程である。そして、Cには言語によるものと表情や姿勢、身振りなどの非言語によるものとがある。・・・
<心理学辞典>
社会的関係が保たれ、相互になんらかの連絡のついていること、情報が相互に伝達されうることをいう。しばしば一方向的な情報の伝達のことをいう。情報の伝達の手段として言語が使われるが、非言語的な手段も重要な役割を果たしてくる。とくに対面的対人関係では重要である。・・・人間のCと動物のそれとの差異は受信者が発信者として受信した内容を発信しうるか否かによると考えられる。
そのほか、私が手許においている社会福祉のテキスト社会福祉実践の新潮流(平山尚ほか、ミネルヴァ書房、2005年)では、
<社会福祉実践の新潮流>
Cには言葉による意志伝達と、身ぶりなどの非言語的伝達があるが・・・(P.127)
Cは人々がお互いに相互作用する時に起こり、意味を伝え、受け取り、確認する相互作用の過程をいう。(P.208)

 これらより、気づいたことを以下にまとめます。
①私が「言葉」とよんでいるのは「言語」ということ。
②「感情」とよんでいるのは非言語に分類されるものであること。
③非言語には、感情の他に文字、身ぶり、音声、意志、意思、思考、表情、姿勢などがあること。
④コミュニケーションには人対人、動物対動物があること。
⑤人対人のコミュニケーションには直接人を目の前にする対面的なものと、テレビなどのマス・メディアを使ったマス・コミュニケーションもあること。
⑥専門用語と思われるので、一般的に使われる意味で解釈してよいかどうか調べておきたい用語として<心理学辞典>の「社会的関係」、「情報」、<社会福祉実践の新潮流>の「相互作用」がある。
⑦④よりコミュニケーションには人対動物もあるのではないか。(ペットについてやコンパニオンアニマルという言葉もありますね。)

 以上のように、定義を調べると「コミュニケーションをどう学ぶか」が、さまざまな方向へ発散しそうなので次のように絞りたいと思います。私たちの学校の成り立ちの意味から人対人のコミュニケーションとします。そして、マス・コミュニケーションは他の先生が担当しているので、私としては直接人を目の前にする対面的なもの、すなわち言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションに絞りたいと思います。

これで、私の「どうやら、コミュニケーションには言葉と感情によるものがありそうだ」という漠然した思いが「言語コミュニケーションと非言語コミュニケーション」というはっきりした概念に形づくられました。これですっきりと「コミュニケーションをどう学ぶか」のスタートがきれそうなのですが、まだひっかかていることがあるのです。それは次回に。。。

2006年05月26日

コミュニケーションをどう学ぶか

田舎教師です。 
 私も週に1時間この学校の授業(科目名:ビジネスコミュニケーション実習)を受け持っています。「コミュニケーションをどう学ぶか」この学校の授業に関わることができるのを楽しみにしていながら、今この問題に真正面からぶつかっています。
 
 私がコミュニケーションを学ぶのにとっかかりにしたことは、言葉によるコミュニケーションと感情によるコミュニケーションがあるということを、これまでの経験から感じとっていたことです。
 それは、3年ほど前に私が社会福祉士の受験資格を得るための現場実習で言葉を持たない知的障害者の方との交流を通して感じとったことです。
こんなことがありました。 
・彼が突然、私の顔に手を近づけ私のメガネを払い落とす。
・私は突然のことに身をのけぞる。
・彼は、のけぞった私を見て笑いながら去っていこうとする。
・私は彼が面白がっていると思って、ムッとなる。
・彼は再び私に近づいてきてメガネを払い落とそうとする。
・私は今度は本気で彼に「やめて、危ないがね。僕は怒っとるんよ。」と言って彼の腕をつかもうとする。
・彼は、本気で腕をつかもうとする私から身をそらし、顔をゆがめる(泣きそうな顔になる)。

 このやりとりに私は言葉と本気で怒っているという感情が彼に伝わるように、多少オーバーに振る舞いました。彼は言葉は話しません。「あー」とか「うー」とかの声は発しますが。

 ですが、私は彼と充分コミュニケーションできたと思っています。彼は、このことがあった後も私にちょっかいを出してきて、そのたびに私も怒ったりしましたが、逆にお互いの間に信頼感のようなものができたように感じました。
 このことは単に知的障害者と交流できたとかいうのではなく言葉と感情によるコミュニケーションがあることに気づいたこと、「こうやって人と関係をつくっていくんだな」ということを実感できたことが大事だと思うのです。

 「人と関係をつくる」のにうまい方法や技術があるかもしれません。ですが、まずは「人と関係をつくる」こと自体、実感としてわかってないと、うまい方法や技術があってもそれが理解できるのか、まして身につけることができるのか。。。

 で、この学校での私の授業はどうするのか。私のこれからも続く試行錯誤をこのブログにつづっていきたいと思います。
今日はこのへんで。

田舎教師

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